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ディスメンバー(DISMEMBER)はスウェーデン、ストックホルム出身のデスメタルバンドであり、スウェーデンのデスメタルシーンの創生期から活動していた。現在は解散済み。
初期の頃からストックホルムのサンライト・スタジオでプロデューサーのトマス・スコッグスベリと共に、チリチリとした高音のギターサウンドが特徴的なスウェディッシュ・デスメタルのサウンドをエントゥームドらと共に確立させ世界中に影響を与えた。今でも北欧デスメタルと言えば当時の彼らのようなサウンドのことを指すことが多い。
ブルータルなデスメタルサウンドだが所々でギターによる叙情的なメロディを導入した北欧デスメタルを確立した。
一聴しただけでディスメンバーだと分かる個性的な、チリチリとしたギターサウンドを確立し、初期の頃より典型的な北欧デスメタル路線を貫いてきたが、4thアルバム『Death Metal』よりメロディックデスメタル路線へ音楽性を変化させた。
略歴
1988年にフレッド・エストビー(Ds)、デイヴィッド・ブロムクイスト(G)、ロバート・セネバック(Vo,B)の3人で結成された。2つのデモ・テープ『Dismembered』、『Last Blasphemies』を作成するが、1989年にフレッド・エストビーの脱退により一旦解散してしまう。解散後、フレッド・エストビーはマイケル・アモット、ヨハン・リーヴァらと共にカーネイジを結成する。デイヴィッド・ブロムクイストはエントゥームドに加入するが後にカーネイジに加入する。ロバート・セネバックはアンリーシュドを結成する。1991年にマイケル・アモットがカーカスに加入したためカーネイジが活動停止状態になると、カーネイジのフレッド・エストビー、マッティ・カルキ、デイビッド・ブロムクイストはディスメンバーを再結成し活動を再開し、エントゥームドのニッケ・アンダーソンがギターソロでヘルプしてデモテープ『Reborn In Blasphemy』を作成する。その後、アンリーシュドで活動していたロバート・セネバック(G)とカーボナイズドのリカルド・カベザ(B)が加わる。
1991年にニュークリア・ブラストと契約し、3月にストックホルムのサンライト・スタジオでプロデューサーのトマス・スコッグスベリと共にアルバムのレコーディングを行い、1stアルバム『Like An Ever Flowing Stream』を5月にリリース。このアルバムはエントゥームドのニッケ・アンダーソンがゲストとして、ほぼ全ての曲のギターソロを担当した。アルバムのリリース後、7月にはモービッド・エンジェルと共にヨーロッパをツアーし、デスやカンニバル・コープスらとツアーを行う。
1992年にミニアルバム『Pieces』を3月にリリースし、5月から7月にかけてナパーム・デス、オビチュアリーらとヨーロッパツアーに出てライブバンドとしての力を着実に付けていくが、7月にイギリスで1stアルバム収録の「Skin Her Alive」の歌詞が残虐すぎるという理由で罰金を課せられることになったが、後に裁判で勝利する。この事件がきっかけでディスメンバーの名前が広く認知されることとなった。
1993年に2ndアルバム『Indecent & Obscense』をリリースすると「Dreaming in Red」のPVがMTV Headbangers Ballで頻繁に流された。そして、初めてのアメリカツアーをサフォケイション、ディーサイドら行い、アメリカから戻ってからはヒポクリシー、アモルフィス、ベネディクションらとヨーロッパツアーを行う。1995年には、ミニアルバム『Casket Garden』をリリースし、その後3rdアルバム『Massive Killing Capacity』をリリースする。
1997年にはシングル『Misanthropic』と4thアルバム『Death Metal』をリリースするが、前作から一段とメロディックなアプローチに変化し、ほとんどメロディックデスメタルといっても差し支えないスタイルに変化した。2000年1月に5thアルバム『Hate Campaign』をリリースし、12月には初の来日公演を行う。当時のベーシスト、リカルド・カベザは2002年のダーク・フューネラルのツアー・サポートとして参加し、春にはアメリカ、10月には日本公演を行った。
『Hate Campaign』リリース後、レコード会社から満足なサポートを受けられず関係が悪化していたバンドは、新たにカルマゲドン・メディアと契約を交わし、2004年3月に再び初期の頃のサウンドに回帰した6thアルバム『Where Ironcrosses Grow』をリリース。2003年5月27日にストックホルムで行われたライブの模様を収めた2枚組DVDをリリース。2005年には再度レコード会社をリゲイン・レコードに変え2006年2月に7thアルバム『The God That Never Was』をリリースし、9月にロシア、10月にヴァイタル・リメインズらとのアメリカへのツアーを行い、11月にはグレイブ、アンリーシュド、エントゥームドらとの「Masters of Death」ツアーを行った。
2007年に、オリジナルメンバーのフレッド・エストビーが脱退し、トマス・ダウンが加入した。2008年には、バンド名を冠した8thアルバム『Dismember』をリリース。2009年にライブDVD『Under Blood Red Skies』をリリースした。
2011年10月16日に、解散が発表された。
解散時のメンバー
マッティ・カルキ Matti Kärki (Vo) (1991 - 2011)
カーネイジやセリオンでも活動していた。アット・ザ・ゲイツの2ndアルバム『With Fear I Kiss the Burning Darkness』でバック・ボーカルとして参加。
デイヴィッド・ブロムクヴィスト David Blomqvist (G) (1988 - 2011)
エントゥームド、カーネイジでも活動していた。
マーティン・パーション Martin Persson (G) (2003 - 2011)
シンズ・オブ・オミッションでも活動していた。
トビアス・クリスティアンソン Tobias Cristiansson (B) (2005 - 2011)
グレイヴで活動。
トマス・ダウン Thomas Daun (Ds) (2007 - 2011)
元メンバー
ロバート・セネバック Robert Sennebäck (Vo,B,G) (1988 - 1998)
アンリーシュド、ネクロフォビック、Souldevourerで活動していた。
マグナス・サールグレン Magnus Sahlgren (G) (1998 - 2003)
ティアマットでも活動していた。
シャーリー・ダンジェロ Sharlee D'Angelo (B) (1998 - 2000)
キング・ダイアモンド、マーシフル・フェイトで活動した後、アーチ・エネミーに加入。他にシナジー、ウィッチリー等でも活動している。
リカルド・カベザ Richard Cabeza (B) (1991 - 1998, 2000 - 2004)
2002年にダーク・フューネラルのツアー・サポートとして参加した。
ヨハン・ベルゲバック Johan Bergebäck (B) (2004 - 2005)
一時期はネクロフォビックと両方に在籍していたが、現在はネクロフォビックに専念している。
フレッド・エストビー Fred Estby (Ds) (1988 - 1989, 1990 - 2007)
カーネイジでも活動していた。現在はNecronautというソロプロジェクトを立ち上げ、活動している。また、サンライト・スタジオのハウス・プロデューサーのトマス・スコッグスベルグの元でエンジニアを務めた後に独立、現在はプロデューサーとしても活動している。
ゲスト
ニッケ・アンダーソン Nicke Anderson (G) (1991)
元エントゥームドでドラムを担当していたが、現在はヘラコプターズでヴォーカル、ギターとして活動中。1stアルバム『Like an Ever Flowing Stream』でほとんどのギターソロを担当した。またディスメンバーのロゴも作成している。
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