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hide( ヒデ )



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歌手の紹介


hide(ヒデ、本名:松本 秀人〈まつもと ひでと〉、1964年12月13日 - 1998年5月2日)は、日本のミュージシャン、ギタリスト、歌手、プロデューサー。神奈川県横須賀市出身。1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動。1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー。

1993年より、hide名義でソロ活動も開始し、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立。1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日に急逝。2007年のX JAPAN再結成以降においてもメンバーとして在籍。

略歴

Xに加入しての初仕事は「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」でのライブであった。1989年4月、Xのギタリストとしてアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。Xではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当。

Xでの活動と並行して1993年1月21日にLUNA SEAのJとINORANと共にMxAxSxS名義でオムニバスアルバム『DANCE 2 NOISE 004』に参加し、同年8月5日に2枚のシングル「EYES LOVE YOU」、「50%&50%」を同時発売しソロデビュー。9月29日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する[注 1]。

1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』を発売。ジャケットの仮面のオブジェは、映画『エイリアン』などで知られるH・R・ギーガーによるデザイン。また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを開催した。

1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からレーベル「LEMONed」(レモネード)を立ち上げる。5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売することでレーベルの存在を公にした。また、6月よりソロアルバム制作を開始し、9月2日に2ndアルバム『PSYENCE』を発売。

1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散[注 2]。その翌日の1998年1月1日、hide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載。同年1月28日にシングル「ROCKET DIVE」を発売。

1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。5月5日に関係者のみ300人を集め密葬が執り行われ、5月6日に通夜、5月7日に告別式が催され、両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。告別式にはTOSHI、TAIJIを含むX JAPANのメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も参列した。告別式はテレビで生中継された。

5月13日にシングル「ピンクスパイダー」、5月27日にシングル「ever free」が生前に予定されていた通りに発売。7月23日、生前にレイ・マクヴェイとポール・レイヴンと共に結成されたプロジェクトzilchの1stアルバム『3・2・1』が発売。10月21日、未発表曲としてシングル「HURRY GO ROUND」が発売。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.Aによって制作された。11月21日、アルバム『Ja,Zoo』が発売。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyoや菊地哲などの参加により完成された。

死去から丁度1年後の1999年5月1日、トリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』が発売。hideに縁のあるミュージシャンや、hideがBOØWY時代からファンであった布袋寅泰などが参加。

2000年7月20日、故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いにある京浜急行電鉄所有の土地を利用し、記念館「hide MUSEUM」が開館。衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員の小泉純一郎も出席。横須賀市内を走る京浜急行バスでも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを3台(衣笠営業所所属車2台と湘南京急バス堀内営業所所属車1台)製作・運行させている。七回忌に当たる2004年5月2日には「FILM GIG」などのイベントが開催された。2005年9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが、結果的に5年に延長された。閉館後も、展示品などは時期を見て公開する予定であるとされている。

2007年4月1日、原宿にLEMONed shopがオープン。

2007年10月17日、X JAPANが再始動。新曲「I.V.」は、生前のhideの演奏をデジタル加工して使用されており、念願としていた世界デビューへhideも同行する形が取られた。10月22日のミュージックビデオの撮影にはhideの立ち位置に空席のマイクスタンドとhideモデルのエレキギターが設置され、YOSHIKIがhideの人形を持って登場するなど『hideも一緒である』ということが強調されていた。2008年3月28日に東京ドームで開催されたX JAPANの復活ライブでは、特殊映像などを駆使して再現されたhideの立体映像が登場。

2008年5月3日・5月4日、味の素スタジアムにてhide十周忌追悼ライブ『hide memorial summit』が開催された。多数のバンドやミュージシャンが出演し、5月3日に出演したhide with Spread Beaverと5月4日に出演したX JAPANでは、ステージに設置された巨大モニターに生前のhideの映像を放映する形で共演。

2013年はソロ活動20周年、2014年は生誕50周年のメモリアルイヤーとなり、様々なプロジェクトが進められた。